どこか懐かしい
—ふるさと足助。
足助は、尾張・三河から信州を結ぶ伊那街道(中馬街道)の中継地であり、物資運搬や庶民通行の要所として栄えました。 重要な交易物であった塩はここで詰め換えられ、「足助塩」「足助直し」と呼ばれました。 近世後期から有力商人が現われ、豊かな町となりました。
錦絵のような絢爛豪華
どれが綾やら錦やら
香嵐渓の木々は樹齢100歳に迫る老木が多く、今後の対策として間伐や植栽等の整備が必要になっています。先人からの贈り物である香嵐渓を100年先の未来へ残していきたい。そのために必要なことは何かを考えます。
GALLERY春の香嵐渓2023
寛永11年(1634年)に足助にある香積寺の三栄和尚が、巴川から香積寺に至る参道にカエデやスギの木を植えたのが始まりとされています。さらに、地元住民などの手によって数多くのカエデが植え足されたり、散策道がつくられるなどして現在のようになりました。また、香嵐渓のシンボルとも言える待月橋(たいげつきょう)が命名されたのは1953年(昭和28年)。その後3回の掛け替えを経た後、2007年(平成19年)に新たな橋となりました。